以前見たテレビ番組の話です。
それは子どものアスリートを紹介する番組で、進行は既婚で成人のお子さんがいらっしゃる男性タレント、そしてまだ独身で20代の女性タレントの方でした。
その日の放送は、将来オリンピックを狙えるほどの才能と実力を持つ娘二人と、それを支えるお父さんの紹介でした。
娘さんたちは中学生だったか、小学生だったか覚えていませんが、全国のいろいろな大会に出場するために、お父さんの車で全国を転々としていました。
そして宿泊は、娘さんたちはビジネスホテルに宿泊、お父さんは遠征費用を少しでも削るために、車で寝泊まりしていました。
インタビューでお父さんは「遠征費用を少しでも削るため」と答え、そして笑顔でこう続けます。
「娘のためなら死ねますよ」。
テレビの放送では、お父さんの「死ねます」という唐突で極端な表現を強調していました。
そこで画面は進行役の女性タレントに切り替わり、「すごい愛情ですね」と驚きの表情とコメントを発すると、隣の男性タレントが言いました。
「えっ?…僕も娘のためなら死ねますよ」
さも当然のような言い方に、またも女性タレントは驚きの表情を表していました。
テレビでは、いろいろな演出や感情表現があったりするのでしょう(分かりませんが…)。
でも、私もその男性タレントの言葉に同感しました。
きっとそれは、メルマガを読んでいただいている、ほとんどの親御さんも同じ意見ではないでしょうか。
後にその女性タレントも結婚されたようですが、いつかお子さんが生まれたら、きっとこの気持ちは理解してもらえると思います。
「大切な我が子を自分の命にかえてでも守る。」
「我が子の幸せや願いが叶うなら、できる限りのことはバックアップしたい。」
当たり前のようなことかもしれません。
でも、自分の我が子を想う気持ちほど尊いものが、世の中においてほかにどれだけありますでしょうか。
私は学習塾を運営しています。
親御さんたちは、皆さんそれぞれ目的、要望をもって塾に通ってくださいます。
苦手教科を克服させたい。
勉強のやり方を身につけてほしい。
勉強を好きになってほしい。
志望校に合格させてあげたい。
…。
共通するのは、「我が子の将来が幸せであってほしい」という願いです。
その想いの中に、勉強や受験があり、それを叶えるための環境に、学習塾があります。
以前のリーマンショックによる景気悪化も、家庭において最後まで削られなかった支出は教育費だったと聞きました。
私たちは、そんな親御さん方の大切なお子さんを預かり、決して安くない授業料をいただき、教育指導を生業にしています。
「勉強を通じて子どもたちの自己肯定感を高め、未来(進路)を切り開き、子どもたちの将来を明るく力強いものにする。」
これは私たち塾人にとって、責任であり、義務であり、使命です。
果たして私は、それがどれだけ実現できているのだろうか。
どれだけベストを尽くしているのだろうか。
もしベストを尽くしているというなら、もっと自分のベストのレベルをもっと上げなくてはならない。
まだまだ物足りないし、やるべきことは山積み、自問自答の日々です。
塾長の私にとって、この「葛藤」はまだまだ続きそうです。
スクール長 鎌田
(「サイタ・メンバーズ通信」掲載コラムより)