当塾では、年に3回、保護者面談を行っています。
面談は大切なお子さんを、より良き未来、希望する進路にどう導くかを話し合い、いわば保護者の方と塾との作戦会議です。
より高い目標を課し、その目標に向けて一心不乱に突き進む子もいれば、一日一日を丁寧に過ごした過程が足跡となり、その足跡をもってその行き先をその都度判断して進む子、中には周りの大人の手を借りて、どうにか精一杯、今の自分を保っている子もいます。
一人ひとりの学力や目標も違えば性格も違い、考え方や感じ方、捉え方だって違います。
教科書の重要事項や問題集にある難問の解法を教えるだけでなく、お預かりする子どもの人格や個性に寄り添い、日常や学校生活、将来について一緒に考えてあげることも、自塾にとって重要な責務のひとつです。
私が教育を生業にする上で、恩師からよく言われたのは、「家族であっても子どもは別人格。親がこうだったから子どももこうだ(こうであるべき)という考えは違う」ということです。
「昔と今の子どもは違う」。
その言葉は、何度もほかで耳にしたことがありますし、私自身も使ったことがあります。
自分の解釈と噛み合わない実情に戸惑い、学びや経験の浅さをごまかすには都合のいい一言であり、安易にこうした言葉で纏めるのは、教育者の怠慢だと自覚しなければなりません。
しかしながら、歴史の括りからすれば、私たち大人と現代の子どもたちは同じ時代のはずなのに、たった20、30年違うだけで、こんなにも子どもの気質や考え方、ものの見方が違うものかと考えさせられることもあります。(勿論、いつまで経っても変わらない、変わるはずのない物事の本質や失いたくない価値観だってありますが。)
私たち大人の過去の経験則は、きっと正しいものばかりで、大抵のことは意義があり、納得できるものでしょう。
だからといって、大人が学んだその経験則を、人生経験の浅い子どもたちに対し、パズルのピースのように当ても、必ずうまくいくとは限らないのが教育の難しさです。
ならば、私たち大人は、何を根拠にものを語り、何を軸に子どもたちと向き合えばよいのでしょうか。
私がコーチングの学びを通じ、意識するよう心掛けるようになったことは、子どもの目線で今を見ること、そして未来を考えることです。
今、子どもたちは何に目を向け、何が見えて、何を感じているのだろうか。
これから見る世界に何が映り、どんな想いを抱き、何を創造するのだろうか。
何に希望を見つけて、どう切り拓いていったらよいか。
そのために何が必要か、どのような環境でどんなアクションを起こせば可能性に近づくか、そして叶えられるか。
どんなプロセスを積み上げたら、人生が豊かになるか。
自らの価値観や過去の経験則に、大人目線の正論を振りかざすのではなく、過去ではない、未来しか映らない子どもたちの目線で、子どもたちの今と未来を一緒に考えたい。
そう思うのです。
大人が培った古い価値観や、過去の経験則に重ねて正論を振りかざされ、押し付けられることを、子どもが望んでいるとは到底思えません。
「この子はきっとこう見えているはず。自分もそうだったのだから、子どももそうであるはず。だからこうしなければいけない。こうすることが最善の方法であり、その選択をさせることが子どものためだ」
親であれば、可愛い我が子を愛するがゆえに、失敗しないように先回りをし、この道に進めばきっと幸せになれると、親の意思や価値観でレールを敷きがちです。
でも大切なことの一つは、親が子どもの人生を決めるのではなく、自分の人生を自分で決める機会を作ってあげること、勇気を導いてあげることではないでしょうか。
私自身、振り返れば、失敗ばかりの歩みでした。
もっと素直に大人のいうことを聞いていればよかった、他人の忠告に耳を傾ければよかったと思うことも少なくありません。
しかし、何もかもそれを否定的に捉え、後悔しているのかというと、必ずしもそうではありません。
すべては私が決めた選択であり、信じて堂々と挑んだ道。
自分で決めた道だからこそ、自由に伴う責任を受け入れ、行動することができたと思っています。
もしかしたら努力が足りなかったのかもしれません。
しかし、失敗から学んだこと、後から気づいた大切なこと、大人になって当時の未熟さに気づくこともあれば、派手な挫折だって、今振り返れば私にとって必要なプロセスだったのだと納得しています。
その経験が糧となり、学びとなって、今に繋がっているとすれば、すべては辻褄が合うからです。
自分の人生を自分で決めるという行為は、人間にとって最大の自由だと、私は思います。
自由には責任が伴いますが、自分で決めた道なら、きっとその責任を全うするでしょう。
だから人生は面白い!
自由を選択し、自分の人生を自分で切り拓く覚悟と自信を積み上げていくプロセスは、人生経験がまだ乏しい子どもたちにとって、なかなかハードルの高いものです。
だからこそ、親や大人がすることは、敷いたレールに子どもを乗せるのではなく、自由に対して果敢に挑戦する楽しみを教えてあげること。
それが、大人がかろうじて子どもにしてあげられる大切な行為の一つだと、私は思います。
スクール長 鎌田
(サイタ・メンバーズ通信」掲載コラムより)