子どもたちは、なぜ勉強をしなければいけないのか。
この問いに対する答えはいくつもあり、きっとそれらはたいていのことが正しく、人それぞれの価値観や優先順位によって答えの順番が変わると思います。
文部科学省が定める学習指導要領では、「知識及び技能」「思考力、判断力、表現力など」「学びに向かう力、人間性など」を社会に出てからも学校で学んだことを生かせるよう、三つの力をバランスよく育む、ことを謳っています。
また、私たち人生経験を積んだ大人は、未来を担う子どもたちの豊かな人生を願い、勉強の意義を綺麗な言葉でまとめます。
・知識を身につけ、論理的思考力、表現力を身につけ、自分の可能性を広げるため。
・専門性を磨き、競争を勝ち抜き、社会に役立つ大人になるため。
・AIに負けない論理的思考力や外国語によるコミュニケーション能力を身につけ、グローバル社会に活躍する人材になるため。
・学ぶ楽しさを知り、教養を深め、豊かな人生を歩むため。その他いろいろ・・・
ある教育評論家は、「学歴は自分の価値を証明するもの」とさえ、はっきりと言い切っています。
勉強しなければいけない理由について、抽象的な意味づけも、露骨で的を射た表現も、私は全て正解であると思います。
その問いについて、私は、約20年前のある学園ドラマの先生役の主人公が話していたセリフが、今でも心に残っています。
「勉強は嫌なことから逃げない大人になるため」
このセリフが、とてもしっくりきているのです。
「勉強は楽しいもの」と言い切り、その楽しさを身につける術を教えることは、教育者の永遠の課題ですが、それだけで押し切るのは、やはり無理が生じます。
むしろ、勉強は楽しいものではない気持ちを受け入れ、その楽しくない勉強に対して、感情を上手にコントロールして、モチベーションを上げていく習慣を身につける方が合理的です。
超進学校に通う高校生たちに「勉強は好きですか」という質問を投げかけても、大半の生徒は「嫌い」と答えるそうです。
皆、同じです。
面倒だと思っても、やらなければいけないことに向き合い、目標に対して地道な訓練を重ねる経験と自信は、知識を身につけることと同等に大切な行動の一つです。知識を身につけるだけでなく、その葛藤するプロセスを経て、結果的にその刺激が楽しさに繋がるとも言えます。
「嫌なことから逃げない。」
ならばその嫌なことに対して、どう向き合い、どう自分の行動レベルを上げていくか、その行動によってどんな未来を手に入れ、どんな理想を手に入れるか。
今の自分の現状と足もとをしっかり見つめ、これから何をしなければいけないのか。
そのために、どんな自己管理をしていけばよいか。
その思考の訓練を「勉強」を通じてできるのであれば、やはり勉強は有意義なものであると解釈することができ、だからこそ子どもたちには勉強に向き合ってほしいと、エゴな大人の私はそう思います。